ヒロ(廣田貴弘)

映像クリエイター / 写真家 / デザイナー/ダンサー (フリーランス)

クリエイティブ集団 “GET A KICK” 、アパレルブランド “COZIEST” 代表

 

1994年東京都港区生まれ。高知高専卒業まで高知で暮らし、就職のため神奈川へ。

大手医薬品メーカー(第一三共グループ)に就職しましたが、2年11ヶ月で退社(2018年3月フリーランスとして独立)。

現在は東京を拠点に、主にフリーランスの映像クリエイターとして活動してます。

写真家・デザイナー・ダンサーとしても活動していて、当ブログの運営やYouTube活動にも力を入れてます。

 

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詳細なプロフィール

ということでここから僕の詳細なプロフィールです。

 

いま振り返ってみると、逃げの連続でした。

自分の気持ちに正直になるのが怖くて、目を背けてた。

そんな僕の24年間の話。

ちょっと長いけど、良かったらお付き合いください。

 

小学生時代。

東京で生まれ、高知県で育ちました。

小学生の頃の僕はかなり荒れてて、ケンカばっかしてた問題児。

先生の言うことにもずっと反発してたので転校することになったほど。

 

母が自分たちのためにずっと働いてくれてて、

一般的な家庭に比べて一緒に過ごせる時間が短かったので

きっと寂しかったのを暴力で発散してたんだろうなあ。

といま振り返って思います。

 

変に大人ぶった子どもだったので、気を使って本音を伝えられなかったんですよね。

僕が基本的に心の奥底から思ってることを出さないのはこの経験が強いです。

 

ズバズバ言うように見えて、心からの本音を話し合える人はほんとに少ないから、そういう意味でいまの仲間はほんと大事です。うん。

 

9歳、はじめてみた日本の外。

9歳くらいのときに祖父が旅行で連れてってくれたフィリピン。

ここで僕の価値観は大きく変わりました。

 

空港を出て見上げると、排気ガスで灰色に染まった空。

など、目に入るものすべてが刺激的な国でした。

 

特に衝撃を受けたのが同じ年くらいの子どもが大きなケースに飲み物やお菓子を詰めて売り歩いてる姿。

学校に行きたくても金銭的に行く余裕がないから家計のために働いてるらしい。

テレビとかで見たことはあったけど、イマイチ想像できなかった姿が目の前にありました。

 

「なんか、ワガママ言えないなあ」って子どもながらに感じた瞬間であり、自分の本音を出さなくなるきっかけその2になりました。

 

あと、いわゆる売春って存在を知ったのもこのとき。

まわりの大人は言わないけど分かるんですよね。なんでだろうアレ。

僕が風俗とかに行かないのもこの時の思い出が強く残ってるから。

ノリで「行きたいね〜」とかは口にするけど多分一生行かないと思う。

 

日本で住んでたらなかなか見れないような光景を見た初海外。

この経験をきっかけに求めすぎなくなったし、心からの本音は口にしない子どもになってた。

爺ちゃんはそれを狙ってたらしいから大成功なんだけど、どうせならもう少し後にしてほしかったなとか思います。

 

何事からも逃げていた、無気力な中学生時代。

スラムダンクを見て「バスケがしたいです」状態になったヒロ少年は中学生でバスケ部に入部することを決意。

地元の中学校にバスケ部がなかったので、受験して学区外の中学校へ入学しました。

 

このとき、ひ婆ちゃん, ひ爺ちゃん, 爺ちゃん, 弟みんなに大きめの病気が重なって、家の雰囲気はかなり重かった。

さらには僕がたまにケンカして校長室に呼び出されてたりしたから、母のストレスは相当だったと思う。

 

中学3年生の時にはそんな生活だったから、バスケも練習に行かなくなったし、小学生から9年くらい続けてた空手もやめちゃいました。

あとは友人関係とかもバッサリ切った。その理由をまったく言ってなかったから一瞬にして関係は険悪に。

思うことはあったけどそれも言わない。本音は出さない症候群のめんどくさいところ。

だから中学生時代はあんまたのしい思い出がないです。

こんな風にいろんなことから向き合うことから逃げてたから、このときに出会って今も深い付き合いの人は1人もいません。

 

卒業の半年前に爺ちゃんが亡くなって、爺ちゃんっ子だったヒロ少年は、”将来は薬を作る仕事につくこと” を決意。

あとは白衣を着たいという理由で、高知高専の物質工学科を受験。合格し高専編へ。

 

ダンスと出会ってすべてが変わった高専生活

 

高専生時代はいろんなことを経験したけど、一番取り上げたいのはダンス。これに尽きます。

それくらいダンスに出会ってから僕の毎日は一変しました。

自分の感性だったり考え方を表現することの楽しさを知れたし、

学生生活の日々すべてを捧げたし、その価値はあったと思う。

 

それと学校の規則がすごくゆるかったので逃げ癖のあるぼくにとっては最高の環境。

(髪型とかほとんど自由で、ほぼ大学みたいな感じでした。)

そんな高専、「学生服と私服の生徒がいて不思議な学校だな。」ってのが最初のイメージ。

年齢層が15〜22歳とすごく離れてたので当時はすごく新鮮でした。

 

ブレイクダンスとYUKとの出会い。

入学してすぐに僕はダサい紫眼鏡と肌荒れの目立つ男と仲良くなった。

これがいまも一緒に仕事をしているYUKとの出会い。

当時の何気ない会話してたら急にキレる、とにかくやばいやつだった。

そのYUKに誘われてダンス部の見学へ行き、流れで僕はダンスをすることに。

当初予定していた帰宅部ライフがなくなった代わりに、一生涯の付き合いになるであろうダンスと友人に一気に出会えた。

人生史上トップクラスにラッキーな1日だった。

 

ダンス漬けの5年間

「まあ、まわる技覚えたらやめようっと。」

くらいに考えてたはずが、いつの間にか誰よりものめり込んでました。

 

ダンスって自分が内に秘めているモノを表現するから

本音を言えない性格の僕に合っていたんだと思う。

 

部活が終わってからは街のアーケードに移って深夜練をしたり、県外まで遠征したり、ずっと踊ってた。

 

毎月毎月、稼いだバイト代はケータイ代以外全てここ。

金曜日に一人で夜行バスに乗って大阪や兵庫、広島までダンスのために行くために使ってました。

車窓を眺めながら、大冒険に出かけているような気分になっていたのを今でも覚えてます。

土曜の朝に大阪について、たくさん踊って、日曜の夜に高知行のバスで帰る。

僕はこの”週末の冒険” が大好きでした。

このとき出会った当時よく面倒を見てくれて、良くない遊びもたくさん教えてくれた先輩。

最近はめっきり連絡を取らなくなったけど、元気にしてるかなあ。

 

この頃の経験は、今の僕の人格形成に大きな影響を与えてると思う。

 

GET A KICKの結成

僕がいま制作を一緒にしているクリエイターチーム “GET A KICK” ができたのはこの頃。

最初はダンスのチームとして活動をしてたんだけど、今では創作活動をする仲間。

クリエイター集団「GET A KICK」、これから活動を始めていきます。

 

グラフィックデザインもこの頃からチームTシャツが作りたくてはじめました。

当時、アルパカっていうフリーソフトでちまちま書いて作ったはじめてのロゴがこれ。

いまでも大事にしてる、思い入れのあるデザインです。

 

そんなこんなで15歳〜20歳までの高専生活の5年間のほとんどをダンスに費やしました。

だいたい同時期くらいに映像もはじめました。

 

寝ても覚めてもダンスのことを考える生活で

え、こんなに毎日楽しくていいんですか状態。

中学生の頃が嘘みたいに生き生きしてました。

 

このカルチャーに出会えてよかったとずっと思ってます。

 

ですが、そんな生活と学業を両立できるわけもなく順調に成績は右肩下がり。

最終的には出席日数、単位ともにギリギリでの卒業でした。

卒業式後の謝恩会のときの1枚。

学科代表で挨拶。まじで卒業よかったー!みんな乾杯!

的なことを話した気がする。酔いすぎててあまり覚えてません。

 

医薬品メーカーに就職、神奈川へ。

第一志望だった医薬品メーカーへの入社に合わせて神奈川県へ。

 

入社から1週間後、研修先でずっとお世話になってた人の訃報を聞いた。ガンだったらしい。

ああ、ほんといつも。。という気持ちになりました。

 

研修が終わっていざ配属先へ。中学生の頃から目指してた業界だから期待してたけど、フタを開ければ全然でした。

若手でも積極的に挑戦出来る環境というよりは、ザ・昔ながらの企業。という感じ。

お世辞にも誰一人として尊敬できる人が職場にいなくて、人間関係にも苦労しました。

 

あれ?なんのために勉強したんだっけ?って人生で1番悩んだ時期だったと思う。

 

このまま30歳、40歳になるのは嫌だなあ。と思うように。

まわりを変えるのは無理だから自分の環境を変えよう。

「あれ、でもなにもないや。」

と気づいて、すこしでも変えようとし始めたのがこの頃。

 

このままじゃダメだ。

就職から10ヶ月、いろいろ変えなきゃと思うようになりました。

今すぐにでも何か行動を起こさないと、このままずっとダメなままかもしれない。

そう思って考えてみたけど、とりあえず大学に行く。くらいしか思いつかなかった。

税金や保険など身の回りのことすらよく分からないし経済学を学ぼう。できたら商学とかも学んでみたいなあ。

なんて調べていると慶應に通信過程があることを知ります。

「え、学びたい科目ぜんぶ学べるし、学費安いし、学校に通わなくてもいいだなんて、、なんていい学校なんだ。」

そう思って受けることにした。簡単な小論文を書いて提出し合格。僕は晴れて慶應ボーイの仲間入りを果たしました。

 

大学での出会い。

21歳からの大学生活がスタート。これが良かった。

入学してなければ出会うことのなかったであろう人たちと出会えて、いろんな働き方を知れたし

隣の席に座ってたおばあちゃんからは「学ぶのに遅いなんて無い」ことを教えてもらったし、

ダンスでは慶應代表でおおきな大会にも出させてもらった。

通信生でサークルの活動にも参加してないのにいい経験をさせてもらったなと思います。

 

エミリアとの出会い。

当時、横浜のバーで知り合ったアイスランド人の留学生エミリアに一目惚れ。

一緒にデートしたかったけど、まったく英語が話せなかったから英語を本気で勉強しました。

3ヶ月もしたら簡単なコミュニケーションを英語で取れるようになって、デートを重ねて付き合うことに。

 

今でもコミュニケーションは主に英語で。これがちょっとした成功体験に。

あとは「思ってても口にしなきゃ伝わんない」ってことをエミリアと生活してて学びました。

 

同時に留学生のコミュニティと交流する機会も増えました。

アメリカ、イタリア、オーストラリア、モンゴル、インド、シンガポール、キルギス、クウェート、、いろんなの国の人と遊ぶように。

 

家族のこと、仕事のこと、好きな人のこと。そうやって考え方を共有しているときに

「なんで嫌なのにその仕事をし続けるの?やめたらいいじゃん。」

なんてことを言われて、なぜだかグサーッて心に刺さったのを覚えてます。

でもその時は「そんな簡単にやめられたら苦労しないよ」って返したと思う。

 

結果は後からついてくる。

就職してからもずっとダンスは続けてました。

ダンスの大会で初めて決勝まで勝ち上がったり

学生時代に憧れていたダンサーに誘われて同じチームになれたり

死ぬまでに会ってみたいと思ってた海外のダンサーと会えたり

子どもたちに教える立場になったりと

 

「いつかこうなったらいいなあ」

と昔思ってたことが振り返ってみたら実現してました。

 

行動してれば結果は後からついてくる。

 

そんな新しい価値観が自分の中に芽生えた瞬間。

自分にもっと正直に、自分の好きなことで生きてみたい。

もう周りの目を気にしたくない。そう思い始めました。

 

動き始める。

やると決めてすぐに動き始めました。

このブログをはじめたのもそのあたり。2017年の7月かな。

発信活動をするうちに趣味ではじめたはずのデザインや映像がお金になる体験をした。

これをきっかけに自分の好きな表現ごとで独立したいという思いがチラつきはじめます。

 

独立、フリーランスに。

2018年の1月にパートナーのエミリアと婚約したことを機に

「一生好きな人と好きなところで好きなことしてたい。」

という思いから独立を決意、帰国後すぐに退職届けをだしました。

 

そして2018年の3月からフリーランスになって今にいたります。

 

法人スポンサー契約を結びました

先日、僕に法人スポンサーがつきました。

フリーランスの映像クリエイターにスポンサーがつくのは初めてのこと。

飯島一休さんに年間スポンサーとしてサポートしていただきます。

 

 

投資してもらったお金は自分を成長させるためのお金に全て注ぎ込む予定です。

それを見て「映像クリエイターってかっこいいな」「自分もなにか表現活動をしてみたい」「自分を自由に表現して生きていきたい」

といったように、同じように悩んでいた人たちが変わるきっかけや希望になれたらいいな。と思っています。

 

いま。と、これから。

いまはクリエイターとして活動しつつ、ドコモの動画配信サービスdTVチャンネルの「韓流スターTV」という番組のディレクターもしています。

最近ではまさかの昔から好きだったアーティストと仕事ができるというドラマのような出来事もありました。

 

これから先は

昔の自分と同じようなことで悩んでいる人にこんな生き方もあるよってことを伝えたいし、

僕をきっかけに映像などの表現ごとを始めてくれる人が増えて、その人の人生がより豊かになってほしいし、

そしてできればそういう表現ごとでみんなが生活できるような環境や仕組みを作りたいし

自分を支えてくれている家族・パートナー・仲間などなど、みんなを応援できるくらい稼ぎたい。

と考えています。

 

それを達成するためにも毎日を丁寧に生きて、必要としてくれている人に僕ができることを届けていきます。

どうぞ応援よろしくおねがいします。

 

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ヒロの活動まとめ

 

お仕事についてはこちらをごらんください

お仕事の依頼をお考えの皆様へ。フリーランスクリエイターの僕にできる仕事一覧。

 

あとがき

こうやって振り返ってみると、表現活動に救われてるなあとつくづく思います。

 

今でこそ明るくて自信家でウェイウェイしてると思われがちですが、昔はかなり闇属性の人間でした。

昔からの友だちには目つきがイッてたなんて言われるくらいです。ほんとに。笑

こんなに変われたのはダンス、文章、デザイン、動画、写真、、そのときそのときで自分の気持ちを表現できるモノに出会えたのがきっかけ。

 

そしてその表現を通して

何度も自分と向き合い、

内に秘めているものを目に見えるカタチに表現し、

それが評価されるという成功体験も重ねたこと

これが理由だと思ってます。

 

だからいま悩んでいる人は自分にできることで、自分の感性を発信してみてください。

別に映像やデザインじゃなくてもいいんです。140文字のツイートで十分。

小さな一歩からはじめてみるのが大事です。

たとえばこの記事の感想。なんてのはどうでしょう?(冗談です。笑)

 

では、そろそろ仕事に戻るとします。

長々とお付き合いありがとうございました。

 

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